ふとリビングに目を向けてみると、大きくゆったりとしたソファとテーブル、 読書用のイス、便利で機能的な収納家具など・・・。気がつくと洋風家具が身近なものになっている現代ですが、昔の日本ではどんな家具を使っていたのか、またそのルーツはどのようなものだ ったのでしょうか? 少しだけ紐解いてみましょう。
庶民には高嶺の花だった「家具」
実は、現代の「家具」のような考え方が日本で一般的になったのは、江戸も中期を過ぎたあたりからだと言われています。もちろん、貴族や支配階級の家々には、平安の頃から中国大陸から入ってきた様々な家具が普及しましたが、それはごく一部の人たちだけでした。ちょっと時代劇を想像してみてください。確かに、江戸以前の庶民の家には、あまり家具がありませんよね。ソファや椅子がないのはわかりますが、衣装や食器などの収納はどうしていたのでしょうか。
収納家具のルーツは蔦を編んだ「籠」
収納家具として日本で最も古いものは、縄文時代の堅穴式住居跡などからも出土された自然にある蔓や樹皮などで編んだ、いわゆる「籠(かご)」でした。籠類は、食べ物をはじめとして、衣類など様々なものをしまう持ち運びも可能な収納家具として使われていたのです。今では、藤製のものや竹製のものがお酒落なアジアンテイストの家具のひとつとして使わ れていますが、ルーツは縄文時代にあったのです。
行李は現代の収納ボックス
そうした籠が、ふた付きの箱形のものになり、それが室町時代になると「葛籠 (つづら)」として普及します。これが江戸時代になると、より簡略化された「行李(こうり)」の登場へと変化していきます。行李は、藤製・竹製・柳製などがあり、葛籠より小ぶりで、皮の補強などがついていません。 実はこの「行李」 という言葉は中国語が語源で、〝旅の荷物〟という意味があります。ご年配の方なら、嫁入り道具を入れてきた、行李を担いで上京した、などというご記憶があるのではないでしょ うか。それほど行李は使いやすく安価だったので、現代の収納ポックスのように庶民の暮らしに深い関わりを持つ家具のひとつとなったのです。